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伊藤真館長講演会(04/02/25)

憲法の基本原理と憲法改正について
日時 2004年2月25日(水) 19:00〜21:00
場所 太田区立生活センター
タイトル 「憲法の基本原理と憲法改正について」
主催 「未来を開く全日空の会」
対象 全日空客室乗務員組合所属の皆さま方
要旨
現実に妥協することなく理想に近づけよう
憲法で大切なことを一言で言うと
アメリカの友人から「日本の憲法で最も大切なものを教えてくれ」と問われたので、小学校以来教わってきた三大原則=基本的人権・国民主権・平和主義を答えた。ところが彼は納得しない。「大切なことを一言で教えてくれ」と言ってきかないのである。私が答えられないでいると、「日本の憲法で最も大切なことを一言で言えないなんて、それでも日本人か」とまで言われてしまった。
「個人の尊重」(「個人の尊厳」、「人間の尊重」)
自分は大学の法学部に籍を置いていたので、友人の質問に答えられなかったことを恥ずかしく思い、早速自宅に帰って、教科書を取り出し、調べてみた。すると、日本の憲法で最も大切なものは、憲法十三条の「個人の尊重」(「個人の尊厳」や「人間の尊重」ということもある)であることがわかった。それ以来、自分の不勉強を恥じて憲法を真剣に勉強するようになったのである。
憲法とは何か
憲法とは何かを考える前提として法律の役割を確認しておく。そもそも国民の間にはさまざまな権利・利益の対立があり、これらの衝突を調整しなければならない。この調整が法律の役割である。しかもその調整は正しくされなければならない。それではなぜ法律は正しいとされるのであろうか。昔は王や君主が制定した法だから正しいと考えられた。しかし、国民主権の現代においては、国民の多数派が賛成した法だから正しいと説明することになる。このように権力の正当化に国民を使うことを国民主権という。
では、国民の多数派が賛成すれば常に正しいのであろうか。この点、ナチスドイツや戦前のわが国を見ればわかるように、多数派の考えが正しいとは限らない。国民の多数派も過ちを犯す危険があるので、その多数派が暴走しないような手立てを予め講じておく必要がある。そこで多数決で決めてはいけない価値、多数決で奪ってはいけない価値を明文化したものが実は憲法なのである。
国民の側が国家の権力行使を制限するのが憲法
憲法九十九条には「憲法尊重擁護義務」が規定されている。国家権力を行使する公務員に対し、憲法尊重擁護義務を課しているが、ここに、国民が国家に対して歯止めをかけようとするわが憲法の基本構造が端的に表れている。
このように憲法と法律はその役割が全く違う。百八十度向きが異なるのである。つまり、国家が国民に対し、国民の自由や権利を制限するのが法律であるのに対し、国民の側が国家に対してその権力行使を制限していくものが憲法なのである。つまり、憲法とは、国家権力を制限して国民の人権を保障するものと定義できる。なお、今日の憲法は、国家と国民の関係においてだけ機能するものとは考えられていない。それはあくまでも力の強弱の関係がある典型的な場面として想定されただけである。そのほかにも、経済力、社会的力、腕力などにおいて強弱の関係が生じうる。たとえば企業と労働者、教師と生徒、親と子どもなどありとあらあらゆる場面において、およそ強者が弱者に対して理不尽を行う場面では、弱者を守るために憲法は重要な役割を果たすのである。
憲法の最も重要な価値が「個人の尊重」
この憲法の最も重要な価値が「個人の尊重」である。この「個人の尊重」には、(1)「人はみな同じ」という側面と、(2)「人はみな違う」という側面があると私は考えている。(1)の方は、人間としての価値、人として生きる価値はみな同じである、ありとあらゆる人はそこに存在するだけでかけがえのない価値があるということである。一人ひとりを人間として尊重するために社会や国家が存在し、国家や社会のために個人が存在するのではないという考え方である。そして自分と同じように他人の価値を尊重し認め合うことが求められている。それは自分勝手やわがままを許すようなものではない。
一方、(2)の方は、人と違うことは素晴らしいということであり、多様性を認め合うことが大切である。自分の幸せは自分で決めろ、ということである。これを自己決定権ともいう。
「人権」(human rights)とは人の権利ということであるが、英語の「right」という言葉には「権利」という意味とともに「正しい」という意味も含まれている。したがって、「人権」とは「人として正しい」ということになる。
プライバシー権や環境権には十三条の「幸福追求権」で十分に対処できる
ここで改憲論についても触れておこう。憲法も制定されてから六十年近くも経ち、プライバシー権や環境権の規定がないので改憲すべきであるという意見がある。また、日本の憲法には権利や自由の規定ばかりで義務や責任の規定がないので改正すべきであるという意見もある。
しかし、プライバシー権や環境権には十三条の「幸福追求権」で十分に対処できる。また、国家権力に縛りをかけるという近代憲法の存在意義を考えれば、憲法に自由や権利の規定ばかりなのは当然のことである。改憲論者の眼目は前文や九条の改正であり、国家防衛義務や愛国心を規定し国民に強制するところにある。
暴力の連鎖を断ち切ろうとしたのがわが国憲法の平和主義の核心
そもそもわが憲法は侵略戦争と自衛戦争を区別することは不可能と考えて、自衛戦争も否定し一切の戦力を放棄したところに大きな特長がある。これまで人類は、暴力による報復を繰り返してきた。攻撃があったときに反撃するとお互いの被害はさらに大きくなる。そのような暴力の連鎖を断ち切ろうとしたのがわが国の憲法の平和主義の核心なのである。
しかも単に自国のみが平和であればよいとするものではない。世界の紛争の火種となるような貧困、教育、飢餓、差別などをなくすための必死の努力をすることによって、攻められない国をつくろうとしたのが憲法の立場なのである。これは積極的非暴力平和主義と呼ばれ、一国平和主義とは対極にある考え方である。
読めば読むほど勇気の出る憲法
このような憲法に対して「理想主義的である」という批判がある。しかし、憲法はもともと理想を謳ったものである。現実と理想が違うからこそ憲法の存在意義がある。わが国の憲法は世界の最先端を行っていると評価してよい。私はこの憲法を読むと、自分の生活でも仕事でも「現実に妥協することなく、少しでも現実を理想に近づけるよう努力することは価値があるんだ」と背中を押してもらっているような気持ちになり、勇気が出てくる。
皆さんにもぜひ多くの人と憲法を話題にしていただきたい。そしてその意味を皆さんで考えていただければ幸いである。
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